遊助 野球の歌 Take me out to the ball game 私を野球に連れてって - 果てしなき空に向かって

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遊助 野球の歌 Take me out to the ball game 私を野球に連れてって






遊助 野球の歌 Take me out to the ball game 私を野球に連れてって

発売日は、2015(平成27)年3月25日水曜日か...。


あの戦前のカナダ・バンクーバーに実在した日系人野球チーム「バンクーバー朝日」を描いた作品で、前年2014(平成26)年12月20日土曜日より公開のフジテレビジョン開局55周年記念作品としての映画『バンクーバーの朝日』の劇中歌として...。

アメリカの歴史あるノベルティソング「Take me out to the ball game」のサンプリングソング、すなわち上地雄輔が遊助としてカヴァーした「Take me out to the ball game〜あの・・一緒に観に行きたいっス。 お願いします!〜」...。


カップリングには、「世界をつなぐ123体操」、「Stand up for yourself 遊turing USK World Crew」、通常盤のみの「君ノ面影」...。

初回生産限定盤BのDVDには、「世界をつなぐ123体操」のMVと、「Stand up for yourself 遊turing USK World Crew」のメイキング映像が、それぞれ収録...。



特に、初回生産限定盤AのDVDに収録の「Take me out to the ball game〜あの・・一緒に観に行きたいっス。 お願いします!〜」が、一番の楽しみかなあ。


というのも、かの映画を観終えた余韻の尾を引いているせいなんだろうか、キャッチャーのトム三宅を演じた上地雄輔は、良い意味で根っからの"野球少年"なんだなあ、と改めて実感させられて...。

2008(平成20)年頃のとあるテレビ番組での、あの松坂大輔との語らいで魅せた素顔に魅せられてから...。

そう、上地雄輔は1995(平成7)年に横浜高等学校へ進学し硬式野球部に入部。 捕手を務め、1年後に入部した松坂大輔投手とバッテリーを初めて組んで、甲子園出場を目指したことがあって...。

ところが、2年生から背番号2を背負ったのも束の間、その年の全国高等学校野球選手権神奈川大会の試合中に右肘の神経を断裂したため、正捕手の座を1年後輩に譲ることに...。

反面、松坂大輔はエースピッチャーとして甲子園大会での春・夏連覇、"怪物"とあだ名されて脚光を浴びることに...。


以後の松坂投手は、西武ライオンズ入団、メジャーリーガーとしての活躍を経て、今シーズンから日本球界に復帰する福岡ソフトバンクホークスのエースとして、日本球界に復帰することになって...。

その前祝いを象徴しているのかなあ、この度のMVでの友情出演...。

昨シーズン後の日本国内における撮影では、キャッチボールシーンもあり、松坂投手が速球を投げると、受け止めた上地雄輔は左手の人差し指が腫れてしまったとか...。

楽曲完成当時は、まだ松坂投手の日本球界復帰が決まっていなかった頃...。

この偶然の重なりは、何かの運命で、ある意味必然だったのかもしれないや。


まさに、聴くと元気になれるダンスナンバー...。


野球か...。

子どもの頃からの夢として、永遠のものであること、祈りたいなあ。



改めて上地雄輔のこれまでを振り返ってみれば...。


1979(昭和54)年4月18日生まれの神奈川県横須賀市出身。


横須賀市議会議員を務める父・克明[無所属・2003(平成15)年初当選・3期目]の祖父は、横須賀で菓子店を営んでいたという。

上地家の先祖は宮古島の門閥(士族)で、与那覇勢頭豊見親を祖とする白川氏の一族でもある、サトウキビ農家。

名字の本来の読みは「うえち」であったが、宮古島出身者や沖縄人に対する差別を嫌って、先に横須賀に出ていた彼のおじに倣って「かみじ」と名乗ったとのこと。


元客室乗務員の母方の祖父は、大阪安治川生まれで、幼少期は浦賀のだるま船で船上生活する傍ら、中学では野球部名サードとして知られていたという。

しかし、経済的理由から中退。 工員、兵隊を経てタグボートの船長となり、浦賀ドックの野球チームでキャプテンも務めたことも...。


その母方の祖父による影響の大きさからなのか、上地少年はプロ野球選手になることを夢見て、6歳から野球を始めることになって...。


キャプテンとしてチームをまとめた小学生時代の1991(平成3)年と、軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務めた中学生時代の1994(平成6)年には、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。

中学3年生の時には、全国大会出場、関東大会優勝を果たしたことも...。

以上の功績あって、計38校からスカウトを受け、中学3年の夏に丹波慎也の投球を見て「この人の球を受けてみたい」という思いから、私立横浜高等学校に進学。 硬式野球部に所属し捕手を務め、丹波とバッテリーを組むことに。

そして1年後、松坂大輔投手が入部して...。



結局のところ、幸か不幸か、2007(平成19)年6月より、フジテレビのバラエティー番組『クイズ!ヘキサゴンII』での初出演の際、珍解答を連発して初の最下位となったことが、あらゆる意味で注目されたことで常連出演者となって以来、俗に言う"おバカタレント"としての顔が先行しがちになったとしても...。


いわゆる"おバカタレント"ではなく、"野球少年"の面影の残る素顔の上地雄輔を垣間見える瞬間、より多くあってほしいなあ。

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2015-03-04 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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